#75 2026/08/23

0:02

タイトルを入力した。

ポッドキャストを聞き終えたままだから、イヤホンをしている。

イヤホンはよく失くしてしまうので、安物しか使わない。

安物の中でも安物の、百均のやつ。

流石に1000円する。

百均に100円で買えないものを置くのは、景品表示法違反じゃないのかなとは思うが、100円で買えるイヤホンは流石に信用がないので、これでいい。

そう言えば行きつけの薬局(そんなものあってたまるか。)が現金払い以外ポイントが付かなくなった。

それって大丈夫なのか?ルール的に。

ちなみにたまーに行くノーレート麻雀店はクレカ払いだと、現金払いより少し高くなる。

加盟店規約違反である。

しょっぴかれないでくれよ〜。

トイレに行きたい。行こう。

行きながらも書き続ける。

書キグルイだから。賭ケグルイみたいに。

今晩はバイト終わりにラーメンを食べた。

家系だったんだけど、初めて濃いめ多めにした。

油がすっごい浮いてた。

タンカーが事故った時の海面かと思った。

美味しかったけどね。もうしないね。

普通が一番!

唐突にタマコウの「よく死のう」が聴きたくなって、今聴きながら書いてる。

いい曲だよねん。

 

0:26

ちいかわの映画の感想書くの忘れてた。

一人になってお腹すいたちいかわが、そこらにある果実を口にするシーン。

一葉と二葉の罪と何が違うんだろう、とか考えた。

結局生きるために食べる必要があるし、色々な次元で生命を絶やしている。

生きるということは、それだけコスパの悪いことだし、それだけ業深いことだ、と。

同時にセイレーンと人魚に同情する気持ちが無いことも言わなければならない。

だって自業自得だし。

力を持つものは、その力の使い方だとか副次作用にきちんと憂慮しなければならないよね、って話もある。

それもまた人間への投影ができて、環境を保全することとか生態系を維持することとか、そういう細やかで尊い努力をせずして暮らせばそれは跳ね返ってくる。

熊害とかもその一例(とするのが不謹慎であるとも言えるが)と言えるかもしれない。

 

作中で歌われる『今日の日はさようなら』では「いつまでも絶えることなく友達でいよう」という約束がされる。

朗らかに永遠の友情を歌うシーンはとても素敵である一方、永遠を掴み取ってしまった一葉と二葉には残酷に映る。

二人の行為、特に一葉に二葉が煮付けを食べさせるシーンは、二人なりの「いつまでも絶えることなく友達でいよう」とする約束だった。

 

0:42

ちいかわ映画のあり得ない感想を見つける。

https://ameblo.jp/ocha-norma/entry-12976412799.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

とてもギャル。あり得ないくらいギャル。

本来映画はこれくらいで見るものなんだなと思い知らされる。

この感想に出会わせてくれたTwitter、ありがとう。

ちなみに米村姫良々さんは知ってる。

実写笑ゥせぇるすまんに出てたから。

なんでか知らないけど、笑ゥせぇるすまんだけは全話見たんだよな。どんだけ何も無い日々だったんだろう、あの夏。(懐古)

あー久しぶりにアニメみたいけど、ドパ過ぎて何も見れないんだよなぁ。

 

 

 

1:39

シャワー浴びた。

なんもないです。

 

 

 

1:45

夜散歩開始。

水たまりに足を突っ込む。ながらスマホは危険。

コンビニに向かう。買いたいものはないけれど、入るのだ。

夜は情報が少ない。頭がさっぱりしている。

よく考えられそうな気がする。

朝も物理的な情報は少ないけれど、これからやらなきゃいけないことを考えてしまって情報過多になる。

その程度で!?って感じだけど、脳のキャパが小さいから仕方がない。

教授から届いたメールの返信を読み直す。

お前、そんなことな考えんと卒論書きやとやんわり言われている。ウケる。

なお、卒論は(ry

 

1:58

コンビニで買い物をした。

ほぼ半額商品。貧困層!

一緒だね、ハチワレと。

 

 

 

2:00

地震。

ちょっとビビった。

揺れなくてよかった。

 

 

 

2:13

パスタサラダって、パスタだよな。

パスタを使ったサラダというより、サラダみたいなデザインのパスタって感じ。

サラダじゃなくてパスタ。

パスタサラダはパスタ。

大学生なりたての授業で言われた、「授業のタイトルはdiscussion presentationだけど、大事なのはdiscussionだから。」を思い出す。

ありがとう、パスタサラダ。

 

 

 

9:59

起床。眠い。もっと寝たい。

サッカーする夢を見た。

めちゃくちゃ南米人にタックルされた。

 

 

 

 

10:40

出発。

さよならポエジーのライブ映像を流している。

ライブだとアレンジするタイプなのね。

いいね。

 

 

 

11:11

ネタ合わせ。

書いたネタが面白く感じられない。

ウケない。

 

11:37

休憩がてらTwitterを見て、嫌な気分になる。

Twitterはもっとテキトーでいい。

若年層でうつ病傾向増加とか言わなくていいし、それに対して甘えとか弱者ぶるのが得な時代とか言わなくていい。

 

 

 

 

14:33

本日3回目の食事。

最近食欲がヤバい。ほんまに大変。

食欲ヤバいのに食への興味ないから、食うものに困る。

もう食べ飽きた飯をまた食う。

もうすぐ両国。

 

 

 

14:50

バイト先のシフトを確認するなど。

今から電車に乗るぜぇ〜

 

 

 

 

15:45

cubeから曲が届く。

むちゃくちゃいい。

テンションが上がる。

曲を作る人たちは、作曲って言語を持っていてそこに意図だったり意思だったりを通わせられるのが素敵だなと思う。

もっと詳しくなったら、更に楽しめるんだろうなって感じ。

 

 

 

 

16:12

両国国技館着席。

今からプロレス楽しむぜ〜。

 

 

 

 

18:45

休憩タイム。

プロレス観戦って絶対悲しい気持ちになるのなんなんだろうな。

可哀想なのは嫌だよぉ。

全然関係ないけど、ちょっと眠い。

眠いと言えば、堀大輔。堀大輔ッ!?

ショートスリーパーの問題は、睡眠時間が少ないことじゃなくて、明らかに(?)不健康な短時間睡眠を医学的根拠無しにn=1の事例だけで高額な民間療法的商材にしてるからだろ!とふと思う。

眠いからの連想ゲーム的に。

個人でやる分には構わないけれどね、それを商材としてるのは倫理的に懐疑の目を向けられても仕方ないよね。医療や科学の冒涜とも捉えられる訳だし。

涜って冒涜でしか使わないな。

さんずいに売る……、水商売ってコト!?(最悪のハチワレ)

 

 

 

20:57

終わったー

よかったですねぇ。予想通りではなかったけど、これもありでしょう。

うまトマの売り切れた松屋で飯を食うぜ。

うまトマの無い松屋なんてお前のいない人生みたいだ。つまんねーってこと。

この、〇〇の無い〇〇なんてお前のいない人生みたいだ構文流行らせたいし、絶対沢山使っていく。

好きボケだから。

 

 

 

 

21:59

雀荘入店。

順番待ちながら読書。卒論の血肉となるのだ。

難しいなぁ。テキスト自体の難しさはかなりあるけど、ふわふわの中身を固める意識にキャパを持ってかれている。

難しい。

 

 

 

 

 

23:34

帰路につく。3,3  ←顔みたい

夜の吉祥寺は汚い。

白米はご飯、みたいな文である。

つまり当たり前ってことなんだけど、当たり前は当たり前で、とても大切なことなんだよーとか薄いことでも思わせぶりに言ってみようか。

もしも生まれ変われるなら、鳩以外がいいね。

鳩は汚いイメージがある。平和よりも。

烏はなんか格好いいから許せる。同じ汚いだけど、なんというか、ね。

電車に乗っても酔わなくなったなぁ。

未だに新幹線は酔うけど。

慣れていく、馴染んでいく、そういうことの連続で人はゆったり変わっていくんだろう。

それはまた当たり前がゆるりゆるりと姿を変えるようで、まァ勿論劇的に変わる訳じゃないから昔の当たり前も当たり前として残るのかもしれないけれど、そう言った変容によって、積み重ねられたものが為人みたいなものなのかなと思ったり。

 

 

 

 

23:55

スーパーに寄った。

本日5度目の食事になりそう。

結局米が一番美味い。

米、麺、パンの順で美味い。

パン麺米の順で好きとかあり得ない。

おい、あり得ないぞ!

米が一番美味いだろ!

スーパーで買ったのは、手巻き寿司とドリアと炒飯だぞ?

米好き過ぎるだろ!

でも、それでいいんだよ。

米食っときゃなんとかなるんだよ。

#74 キモさと生きる僕になる。

思えば自分のことを、「キモくない」と認識していた。

図らずも思い上がっていた訳だ。

 

この世界には、イケメン(単にルックスがいいという話ではなく、イケている、つまり好意的に思われる属性を持っている人)とフツメンとキモメンがいる。

イケメンじゃない僕は、自分をフツメンだと認識していた。

しかし、よく考えれば気づくチャンスはいくらでもあった。

「変わってる」とか「ヘンだね」とかよく言われていたんだから。

あなたは普通じゃない、って言葉を真に受けて、特殊性を自認することはサムいと思っていただけに、認知が遅れてしまった。

フツメンじゃないね、とイケメンじゃない人間が言われる時、それはキモメンだと言われているのだ。(迫真)

何故今まで気付かなかったのか。

周りの優しい人間は教えてくれていたのに。

お主、キモぞ、と。

確かに思い返して見れば、3回も行った握手会は全部あり得ないくらい喋れなかったし、応援しているアイドルとのオンラインお話し会の日は昼前に20秒話しただけで夜までドキドキしてたし、そもそもエピソードの2分の2がアイドルの恋愛商法によるものだし、キモくない訳がないのだ。

 

そう、21歳ももう少しで終わるこんな時にやっと気付いたんだ。

僕はキモい、と。

 

 

・キモさの自覚と分析

僕のキモさの根源はメンタルの部分にある、と見ている。

だから、いやビジュアル的にもキモいぜ、って思う人はぜひ言ってほしい。

流石にそこまで認知が歪んでいたら、やるせないけど。

メンタル、有り体に言えばメンヘラなのだ。

男のメンヘラ、女のメンヘラ以上に厄介で、それでいて救いようがない。

なにせ、もっさりした男が、どうしょうもない精神性を持っているという最悪のマリアージュが、キモさに磨きをかけるのだ。

だから敢えてメタ認知的な話をすると、キモいと自覚したことを大々的に表明して、これからはキモいと自覚して生きていくぞ!とするこのブログもまた、キモさの温床なのだ。

本当はもっと日陰者として、スンッとした生き方にシフトすべきなのだ。

というように円環する自戒を続けると、抜け出せなくなるので、一度辞めにして。

どうメンヘラなのかというと、人間に対して抱く感情が重たいくせに、それを抱くまでが早いのだ。

加速度的に速やかに懐くと言えばいいか、犬みたいなもんなのである。(忠犬ハチ公じゃなくて最後の恋人だけどね。(男でラブタイプ診断をやっているのも軽キモ))

犬はあのフォルムだから人に懐いて可愛いのであって、別に格好良くもない、四捨五入すれば(しなくとも?)ダサい側のビジュアルでそんなことをされたら、キモが沸き立ってしまうのだ。

そんなクソデカ感情を、いつからか向けられていると気付いた人は、「その想いを受け止める」か否かを急に迫られるのだ。

同性ならまだ簡単かも知れない。

懐いてくる奴に対するアンサーは、受け入れるか拒絶する、さっぱり二つだからだ。

しかし、異性は違う。受け入れると拒絶するの間に、権力勾配や安全確保、これまでの関係だとかコミュニティのあれこれが絡んでねっとりとしてくる。

選択は多岐にわたる程複雑怪奇なのに、その原因となるキモ男は快活に真っ直ぐキモいだけなのである。

ナニソレ!?である。

 

 

 

 

 

・「キモいと自覚すること」は「卑屈」なのか

自分をキモいと考えることは、ある種の卑屈である、と言う意見もあるだろう。

結局自分可愛さの反転であり、自分の反省すべき行動を「キモさ」という一点に帰結させているだけだ、とか、本来は自己肯定感を充足させて新たな出会いを目指すべきなのにそれをしない動機づけとして「キモさ」を利用している、とか色々と言うことができる。

世間は卑屈に対して厳しいから。

確かにキモくてもそれを理由に奥手になるというのは辞めるべきである。

なぜなら自覚的なキモさ故に人間関係を忌避する傾向にある「逃避」は、ネガティヴな形の精神状態・社交体系とされているからだ。

ネガティヴとされているから辞めるべきというのも暴論な気がするが、少なくとも人間は前向きに生きるべきと考えるのならば、やはり避けるべきであることに代わりはない。

べきが沢山ある文章は威圧的で好きじゃないけれど。

閑話休題を終えて、キモさを自覚するということは卑屈ではないと思いたい。

キモさというのは格好良さとか、声の良さとかと同じジャンルの1パラメータに過ぎず、それ自体でいい悪いと言えるものではないと思うからだ。

キモさを自覚するということを卑屈と捉えている人は、キモさをマイナスのものとしてしか見ていないのではないだろうか。

申し訳無いが、当方キモ方から言わせてもらうと、キモさも一つの特性でしかないと思わずには息をするのもままならない。

だからこれは説とか論とかではない。生きていく手段として、卑屈ではないキモさの自覚という行動を認めるほかないのだ。

ごめん、許してほしい。

僕が自己肯定感皆無自信なし男だから卑屈に見えるだけなんだよ。

これは極めて前向きな行為であり、全く以て卑屈じゃないんだよ、と言いたい。

 

 

 

 

・内面のキモさとどう向き合うのか

外見がキモい人は、それだけで損をする。

生まれ持ったものであって、本来はそれだけで不利益を被るなどあってはいけないのに、しかし残酷なことに理想的に社会はできていないから、不幸は起こる。

それは極めて悲しい事実であるが、ほんの少しだけ不幸中の幸いみたいな光明もある。

それは、外見のキモさというハードルを超えた先は意外と簡単だと言うことだ。

外見がキモい人は、キモさを自覚するのが早いから、キモさと生きていく時間が長くなる。

つまりその共存に長けているのだ。

キモい自分なりの生き方、が確立されているし、生存戦略も存在する。

美人は三日で飽きるなんて話もあるが、外見は慣れてしまえばどうってことないなんて見方もあるだろう。

彼らは外見という大きなハードルこそあれど、その先に、彼らなりの処世術と、キモさへの許容可能性がある。

勿論、不幸の比べ合いをしたいわけでもないし、僕の方がクソだというつもりもない。

外見だけでも普通であることを幸運に思う程には、彼らの生き方の大変さも分かっているつもりだ。

しかし、やはり内面のキモさというのは難しいと思う。

何故か、それはよく知られるという人間関係の深度が進んだ瞬間に、相手を裏切るような形で表出するからだ。

よく知ったらキモい人だった、普通の人間かと思ってたのにっ!という倒錯を生むのだ、内面のキモは。

日陰者は、「外見だけでもキモくならないように」と努力したりするが、それが反転「パッケージ普通なのに中身キモいんかい!」って言う最悪の叙述トリックになってしまうジレンマが存在するのだ。

なんという悲劇!

まァそれはいいとして、内面のキモさはそういう裏切り性を持っているから、自分が親しみを込めて踏み込んだ一歩で関係を台無しにしたりすることがある。

寝耳に水のキモさとでも言おうか。

だからこそ注意を払うべきだし、払うべきだったのだ。内面キモ男として。

反省、反省。

 

 

 

 

・離別か共存か

キモさと生きていくなんてキモいこと言わずに、キモくなくなるように努力しろよ、って言いたい人もいると思う。

そういう人には敢えて喧嘩を売ってあげよう。

そういうのはキモくない奴だから言えるんだよバカが!

親に感謝しろ!キモくなく生んでくれた親に!

環境に感謝しろ!キモくなく育ててくれた環境に!

キモとは染み付いてしまうものなので、キモい奴はやっぱりどこまでマシになってもキモいんだと思う。

払拭する努力は大切だし、それが無駄だとは言わない。

ほんの少しでも、キモくなくなることがどれだけ凄いことか、キモさを自覚した今分かる。

でもやっぱり、キモくないに移行することは難しいことだ。

自分を大転換して、綺麗さっぱり変えられたらできるかもしれないが、それは生まれ変わったという話で、連続した自分と呼べるのか?みたいな問いも出てくる。

自分のまま生き続けたいと贅沢にも思う以上は大転換はできない。

自分のまま、キモい自分のまま、マシになっていくしかないんだ。

 

 

 

 

 

・キモさとの共存でどう変わるのか

まず、自分の重い想いが他人に対して加害になる可能性をもっと考えるようにしたい。

それはつまり、自分の好意を鞘に納めて、ゆったりと自分のキモさを提示して、受容されるか否かを確かめる時間を設けることに始まるだろう。

キモさを受容してくれる人も、この世界にはいる。

それはこれまでの人間関係が証明してくれる温かな事実であり、僕はこれだけは手放してはいけない。

そのうえで、段階を踏むことを覚えよう。

真っ直ぐ進む必要がある時も存在するけれど、大人の人間関係というのは、回り道の連続なのだと気付こう。

そして、築こう、ゆっくりと関係性を。

小出しのキモで、耐性をつけてもらうようにして、受容されるべく受容されよう。

最後に面白くなろう。

キモさを一番活かせるのは面白だと思う。

文章の面白、会話の面白、舞台上の面白、日常の面白、ワードの面白、動きの面白、用意した面白、瞬発の面白、色んな面白さを手に入れて、キモ面白くなろう。

キモつまんないよりも、少しだけマシになろう。

そうしたらいつか、いつか現れてくれるかもしれないから。

キモ面白がツボな愛らしい誰かが。

キモから始めよう。

面白く終わろう。

そしていつか、幸せになろう。

前向きな、ネガティヴとの向き合いを、ここに宣言しよう。

キモくなくはなれないし、自信を持った人にもなれないけれど。

キモ男として、自分自身として、生きていく。

ゆっくりキモさを陶冶しながら。

#73 増長する罪について

週一くらいで吉祥寺の夜明けを見ている。

眠らない街に一本で接続できるだけの汚え街で、今日もまた夜を明かしたのだ。

しょうもなくてたまんねぇー、である。

大学生の内にできるだけ無茶をして、クソみたいな時間を過ごし、どうしようもない経験を積もうとして、結局こんな風になっている。

蕩尽した金と時間は戻ってこない。

バイトで稼いだ金がスルスルと横に流れている。

心だけが充足しない。

乾いているのである。

全然分かんないけど、セフレとのセックスみたいな(重言?)そんな夜なべだ。

やることをやって、楽しむべきを楽しんで、ありったけの自分を使って、きちんと楽しまんとしたのに、終わってみるとそこには失った物ものの残骸だけが横たわるようである。

求めているのは絶好の夜明けで、手渡されているのは吐き気と薄曇りのそれだ。

生きていてよかったと思えるような朝は、どこにもない。

酒も煙草も暴飲暴食もクラブもシーシャも麻雀も散歩もTwitterも、どれもおもっくその後悔を一つ胸のムカムカと一緒に授けるだけで、そこに誰がいようともいなかろうとも同じようである。

でもまだ探している。

これって正解を。最高の朝日を。

最後に感動したのがいつだったか分からなくなる。

泣いたのは?欠伸じゃなくて、心を揺り動かされて。

全く覚えてない。そういうのって劇的で、脳裏に刻まれているものなんじゃないの?

幸せは懐に沢山あるが、どれも葡萄のようである。

一つ一つは美味しくても、腹は満たない。

無理に満たそうと思って、バクバクと食べるとくどくなってしまう。

たまに種があるし、たまに酸っぱかったりする。

贅沢な話だが、仕方がない。

人は、いや主語が大きいか、少なくとも私は、ささやかな幸せでもって足るを知ると言うのが難しいらしい。

満たされる夜を探している。

誰か一つ分けてほしい。

もしかしたら添い寝するだけで、それだけで十分かもしれないとか、思ってみたりもする。

でも、そうじゃないから皆満たされてなさそうなんだよな!

じゃあ今の一旦無し!

誰かこのファッキンナイトを溶かすに値する遊びを、まァ遊びじゃなくてもいいけど知ってる人がいたら教えてくれ。

できれば手取り足取り。

 

キモくてさーせん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛するということ、多分読まなきゃいけないんだろうなと思いつ全くもって読む気が起きない。

愛することは技術だなんて言われても、ほなこのゴミみたいなクソデカ感情はなんですのん?技術というには歪過ぎるやないかい!となる。

心の中の関西人が顔を出す。

ついでにギャルも。ギャルピース

ギャルの解像度低すぎてギャルピースくらいしか思いつかないが、それで構わない。

ギャルの解像度が高い人間になるよりはマシである。

 

 

愛するということは、とても業深いものだと思う。

誰かに重たい感情を向けること。

一般に好意的に感じられ、応援されるだけに無碍に扱い辛い相手の立場を考える。

学校へ行こう!の公開告白とか、盛大な暴力として降り掛かってるよなとか思ったり。

自己肯定感が低い人間としては、「どぅふふ、こんなキモい奴に好かれて不幸ですらあるよね?ごめんね。本当にごめんね。」という感じである。

でも自分を卑下するのは辞めましょうというお約束なので、頑張って考えないようにしてみよう。

すると、どうだろう。「好きになってごめんなさい。」くらい簡潔にはなるだろうか。

……どっちにしてもキモいな。

いや、そもそも人を愛するということ自体キモいという説ありますか?

さっきセックスって打ったせいで、「せつ」の予測変換が説より先にセックスを出してきてオワリ。

まァクソみたいな閑話休題は置いといて。

だってね!だってですよ!

人間は孤独なんですよ?

一人で生まれて一人で死ぬんですよ?

それなのにあなたの隣にいたいわとか、君を思うと眠れないよとか言い出すんですよ?

 

え、キモくなくない?

なんか全然例がキモくならなかった。

なんでだ?え、愛するってキモいよな?

なのに、冷笑できないくらいキモくないぞ?

あれれ〜?おっかしいぞぉ〜

なんでだよ。キモいだろ。

 

 

…………( ゚д゚)ハッ!

ブログで顔文字使いだしたらおしまい。

でも気づいちゃった気づいちゃったぜーっとぜっと。わーいわいではなく。

愛するのがキモいんじゃなくて、俺がキモいんでは?

え、マジか!しっくりくるぞ!

俺が人を好きになる姿←キモい

愛するということ←キモくない

→→→俺がキモい。では!?

 

ナハッ!終了です!でっかい自傷行為終了!

いや、こんなんで自傷行為とか言ってたらリスカ少女にどやされちゃうか。

じゃあ細やかな自傷行為と訂正して。

え、キモい自分はどうしたらいいんですか?

人里離れた山の奥地で暮らしますか?

熊に間違われて撃たれますか?

寺に籠もって悟りますか?

実はまだ生きていますか?

…………変なアキネーターみたいだ。

 

俺だってこんな上滑りしたブログ書きたくないよぉ!

でも!だって!しかしながら!

夜明けがそうさせてんだよぉ!

違うよ!生来のキモさがそうさせてんだよ!キーモキモキモキモキモ

 

 

 

 

 

 

 

 

というような気持ちで今から少しだけ寝ます。

愛は業で、業は最悪だが、業こそが本当の自分を見せたりするんだよな、と。

思ったり。謳ったり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



www.youtube.com

#72 みみたぶ

みみたぶ、耳朶。

漢字で書くのはあり得ない。

みみたぶのあの柔らかな感じが全然伝わってこないから。

許せない。

耳朶てっ!

みみたぶでしょ!

どんなにうっすいみみたぶだとしてもみみたぶだよ。

耳朶なんてマジでダメ。

耳朶!?ハァッ!?

 

フェチってものがよく分からないのだけれど、首とか手とか脚とか、見てしまう部位があるってことなのだろうか。

強いて言うなら俺はみみたぶだ。

みみたぶふぇち。

なんか全部平仮名で書くとヤバい感じがスゴいな!(語彙力)

でもね、みみたぶっていいですよ。

あの独特のふんわり感。

触りたくなっちゃうよね。

みみたぶってかなり触りたいものだし、ぷにぷにしたみみたぶの人はそれだけで「お、いいじゃん」ってなりますね。

もちろん、男女問わず。

男だと尚良しです。

みみたぶ触らせてくれるので。

触れないみみたぶよし、いわんや触れるみみたぶをや。

もし視線をみみたぶに感じたら俺かも知れません。

嫌じゃなかったら触らせてください。

下心とかは本当にないです。

みみたぶの妖怪みたいなものです。

 

 

 

 

 

 

 

単身赴任と母親のパート、姉二人は歳が少しばかり離れていたから、学校から帰って少しの間、一人でいることが多かった。

母親に隠されてたゲームを見つけ出してやったこともあったし、一人二役でカードゲームを虚しくもやっていたこともあったし、家の前の自販機でエメマンを買って地平線を眺めながら黄昏れていたこともあった。

総じてどことなく空虚だったけど、それが今の、ホームシックにならない自分を作り出していると言えばそうかも知れない。

寂しいって思いは欠片もない。

ただ、一人は虚しいけどね。

常々思う。

 

一人ぼっちでも生きていける。

でも一人より誰かがいた方がいい。

 

一人は虚しい。

人は何故生きるのか、とかそんなだいそれたこと言いたい訳じゃないけれど、他者と生きていない時間は虚しくて堪らない。

人がいる、あなたがいる、彼がいる、彼女がいる、それが全てで、それ以外は空虚だ。

だから、ここ最近はなるべく一人にならないようにしている。

寂しがりやとは違う、と思いたいんだけどね。

喋ること無くなるまで、いや無くなったずーっと先まで一緒にいましょうよ。

飽きてからが本番ですよ。

楽しくなくなってからが始まりですよ。

あなたがいるそれだけで十分なんですよ。

蕩尽しますよ、お金も時間もなんでもかんでも際限なく。

だからそばにいてくれませんか。

簡単なお願いじゃあないでしょうけど、嫌になったら捨ててくれて構わないから。

 

とは言え、

とは言え人間は一人でやっていけるもんさ。

今の時代離れていても通じ合う方法はいくらでもあるし。

ただ、そいつらもまた別の空虚を漂わせてくるんだけどね。

大丈夫。一人でもやっていける。

やっていけなくても、生きてしまう。

人は、勝手に、生き延びてしまう。

だから、たとえ全部が上手くいかなくても、生きて帰ってきてくれよー。

彼方の星に願うように、平穏を祈って。

#71 間

吐き気と快感のあわい

夢が近くて遠い

何も考えず

腹の底をバラ撒きながら

街を走りたい

 

内在と空虚のあわい

いつか臨界点に至る

ドアの隙間

音が漏れ出るような

自由を求めてる

 

正解と論外のあわい

誰も振り落とされてる

答えを求めた奴から消えていった

途上で狂い出す

 

吸収と阻害のあわい

次は誰が馬鹿を見る?

悲哀溶かした煙が消えていく

換気扇の中に

 

夜を滅ぼそう 誰も寂しがらないように

朝を滅ぼそう 誰も焦らないように

昼を滅ぼそう 誰も泣かないように

残った時間は後で滅ぼそう

 

絶好と頽落のあわい

意識が薄れていく

何も考えず

腹の底をバラ撒きながら

街を走りたい

 

ワタシとアナタのあわい

境界は消えていく

触れ合わなくても綯い交ぜに

まるで夢みたいに

 

夜を滅ぼそう 誰も寂しがらないように

朝を滅ぼそう 誰も焦らないように

昼を滅ぼそう 誰も泣かないように

残った時間は後で滅ぼそう

 

過ぎゆく時間のあわい

吐瀉物の上で寝よう

冷たくなる身体

もう安らぎしかない

安らぎしかないのにね

すぴんおふ

コンビニのイートインコーナーで、隣の高校生カップルが無言でシェアハピを食べているのを見て、無言でいられる関係性に憧れた。

俺は沈黙が怖くて、誰といても何かしら喋ってしまう。喋ってないと死んでしまう病気にでもかかっているのかもしれない。

でも、たまに何も言わずに一緒にいられる人がいると、その人のことがやたら好きになる。しゃべらなくても成立するというのは、多分、信頼のもっとも原始的な形なんだと思う。

言葉って便利なようで、実は距離を測るための杖でしかなくて、本当に近い人とはその杖すら要らなくなるのかもしれない。杖なしで歩ける人を、俺はまだあんまり知らない。

知らないから、憧れる。

ごめんなさい、何の話か分からなくなってきた。

 

 

 

カラオケの話をした手前言いにくいんだけど、実は一人カラオケも苦手だ。

一人だと歌いたい曲しか歌えないはずなのに、なぜか「一人だから思う存分歌える」というプレッシャーに負けて、結局代表曲ばっかり歌ってしまう。

自由を与えられると不自由になる、みたいな現象がここにもある気がする。

誰にも聴かれていないのに、誰かに聴かれている前提で選曲している。多分これは、俺の中に常駐している「観客」が消えないからで、その観客は俺自身の一番厳しい部分でできている。

一人の時間って、本当の意味で一人になれているのだろうか。

分からなすぎる。教えてください、できれば優しく。

 

 

 

祖母の家に行くと、必ず出てくる謎の柿ピーがある。賞味期限がとうに切れているのに、なぜか毎回同じ量だけ減っている気がする、補充されている説がある。

大は小を兼ねると思って買った消臭力の話を思い出す。あれも結局、匂いに支配されて、匂いがあるという事実だけが残った。柿ピーも、賞味期限という概念に支配されず、ただそこにあり続けるという事実だけが残っている。

存在し続けることそのものが、意味を超越する瞬間があるんだと思う。

祖母の柿ピーは、多分もう食べ物ではなく、ただの「祖母の家にあるもの」として、そこにいる権利を獲得している。

俺もいつか、誰かの部屋の隅で、意味を問われずにただ存在し続けられる何かになりたい。

なれるかな。なれたらいいな。

#70 お前の過去なんか知らない。

過去に意味なんかある?

マジ世界五分前仮説って感じなんだが。

これまでの山積なんて全部ゴミと相違ないかもしれないじゃない。

そうじゃない根拠なんてどこにもないよ?

だから経歴も来歴も物語も傷も何も無駄だよ。

 

未来に意味なんかある?

明日があること、突き詰めれば次の瞬間があること、それになんの意味があるのか。

今この瞬間に死ぬことと、天寿を全うするまで死ぬこと、になんの差異があるのか。

幸福だとか思い出だとか、そんなチンケなものではない価値があるのか。

それとも人生はそんなチンケな価値でしか測れないのか。

測るものではないのか。

少なくとも、図るものではないのか。

 

流行り物だから興味があるのか?

興味があるもの、好きになったもの、それは流行っているからか?

人口に膾炙しているからか?

話題に上がるからか?

なんでお前らは麻辣湯が食べたいんだ?

味への興味か?それを知ることは知らないことと何が違うんだ?

行列に並ぶことが、流行に乗ることだと思っているのか?

なんでお前らはもっちゅりんを食べたいんだ?

食感への興味か?以下同文

たかが麺、たかがドーナツだと認識しているんだろう?

まさか人生を揺るがす何かだとか思っていないんだろう?

いや人生を揺るがすものであったとしてもだ。

皆がやっているからやる就活、SNS。

食べるから食べている麻辣湯、もっちゅりん。

皆が見ているから見ているネットフリックス、Amazonプライム。

そこに主体性は?個性は?自由意志は?

要らないのか?右向け右を嫌うんじゃないのか?人間は。

本当に大切なのは、自由意志風の選択肢だけか?

もしかして自分で選択できていないことにも気づいていないのか?

 

じゃあお前は何を選択できているのか。

 

何も選択などできやしないじゃないか。

全ては決まっている。出会う人も別れる人も。出会い方も別れ方も。

当たり前じゃないか。疎遠になる理由があり、親密になる所以があり、絶縁になる要因がある。

全ては因果律の下にある。

脳内に浮かび上がる選択肢も、過去の経験や思考のパターン化に過ぎず、つまりそれらが乏しい人間が選ぶ選択肢は少ない。

それを拡大すれば、どれだけ経験に富んだ人間も思考を重ねた人間も、有限で不自由な選択を強いられていると考えられる。

 

だとしたら過去から全て逆算できるのか。

 

「喉が乾いた」の結果は「水を飲んだ」にも「干乾びた」にもなりうる。同様に「水を飲んだ」の原因は「喉が乾いた」にも「緊張した」にもなりうる。

因果律はあれど、収束はしない?いや現在が結び目のように窄んでいるだけで、過去未来両方に因果の束が広がっている的な?

今この瞬間だけ因果が収束してる、的な?

 

どうでもいいけど。

他人を批判できるほど、自分も自分の好きに能動的じゃないわ。

人殺しが趣味です、とかだったら話変わってくるのかもしれないけど。

そもそもこの大レコメンド時代に、能動的な情報入手なんてどのように?って感じだわ。

情報量が多すぎて、能動的選択の生理的コストが高すぎる。キモい。

ワットアバウティズムくらいキモい。

手段の目的化くらいキモい。

貧困くらいキモい。

 

全然しょうもない話だったね。

 

 

 

 

ここ最近Twitterが色んないざこざしか見せてくれなくて大変つまらない。

しょうもない人間がしょうもない人間を叩いて、それをまたしょうもない人間が叩いてみたいな繰り返し。

黙ってられないのかね。一時発信しかできないSNSとかあればいいのに。誰も反論も論議も詰問もできないやつ。それはまあクソ愚かだが、争い合うよりはマシだろ。

てか、気が立ってる時も酔っ払ってる時もSNSで発信するな。まだそれで発信して愚かなのは許せるけど、短絡的過ぎるから辞めろ。

別にそういう脳に影響与えられていないニュートラルな状態でも発信できるのなら、異常な器だってだけだからね。より悪質だよ。

 

悪質とか、誰が言うてんて話だよな。

 

 

好きになればなるほど、遠ざかっていく感覚ってのもあるもんで、簡単に消費したくないとか、失いたくないとか思って大事に大事にしている内に感情に黴が生えて、自分でも手に負えない何かに変わってる。

なんだかそういうのを繰り返して、偽物の恋愛をよーやってるなって感じがする。

好きなら好きって言えばいいのに。

嫌いなら嫌いって言えばいいのに。

いやいやとか全然とかばっか言って、伝えられない、もう君に興味を無くしてしまったも言えたらいいのに。

愛してるとかだるいし、あざといのはズルいし、ドジなのはしんどいし、聡いのは面白くないし。

会えないのは嬉しくないし、会えるのは調子よくないし、会いたいが丁度いい気もするし、会わなくても構わない気もする。

気軽に連絡取れないなら要らないし、そもそも隣は俺じゃないし、もっと健康で、健全で、つまらなくて、格好いい奴だし。

気を遣って、遣われて、お互いそれを理解してなんかよく分からない気遣いの衝突みたいなの起こさない奴だし。

君は自由だし、勝手に生きて、勝手に恋をして、勝手に幸せになってくれればいいし。

俺は勝手に死ぬまで生きるし、勝手にそこら辺の女と愛もなく身体を重ねるし、勝手に不幸になる。

なんかの偶然で出会ってしまっただけなのに、勘違いしてごめんなさいと言おう。

愛してしまってごめんなさいと言おう。

勝手に愛して、勝手にどうでもよくなることにしたよ。

眠れない夜をありがとう。

karmapart