#3 教祖が一番救われたいだろ!

父親からおさがりでもらった服。

最近買ったけどそんなに着なかったらしい。

今断捨離の真っただ中なんだけど。

そう思いながら、貰った。

 

いつもの服に合わせて着たら、これが意外と教祖っぽくていい。

またその組み合わせで着る予定なので、ぜひ見てほしいところではある。

 

教祖っぽい服を着ながら、思った。

「教祖が一番救われたいだろ!」と。

言い忘れていたが、新興宗教の話。

 

世の中にあるは宗教や哲学、思想が飽和していて、学問に寄与したものから、セレブレティたちの考えまで、カジュアルにもフォーマルにも遍く存在している。

アイドルだけじゃなくて、お笑い、音楽、絵画、科学、文学、仕事、エトセトラ、依存したり崇拝したりするに足るものが溢れている世の中で、そのどれにも救われなかった人間のために宗教を興した人、それが教祖。

 

...え?望み薄すぎじゃない?

めちゃくちゃ無謀じゃん。なんでやんの?って。

考えてみるとやはり、自らの思想でしか自らを救えないから、それを正しいと実証したいんじゃないのかなという結論に至る。早計かもしれないけど。

 

もしそうなら信者ってちょー嬉しいんじゃないだろうか。

自分の考えを肯定してくれているようで。

答えの決まっている相談をしているような、そんな無意を感じる。

 

自分が辛い時ほど人の悩みを聞きたくなるのも、それに似ている。

相談なんて基本答えが出ている状況でするものだから、ものを間違えなければ、相談する側がされる側に肯定されるのと同じくらい相談に対する答えは相談者に肯定される。

相談という場において、肯定の等価交換が行わている。


私的な話をするなら、相談しているときには大体答えが自分の中で出ている場合が多い。全部じゃないけど。

圧倒的に時間の無駄、はた迷惑。だけど相談をする。

単純に安心したいってのもある。背中を押してくれるから。

その上で、都合がいいとも思う。相談はエピソードトークとして軽すぎず、かつエピソード単体より長く間が持つ。しんどい時とか、話したいけど話すことがない時とか、よく相談してる気がする。

 

でも、相談する一番の理由は「大否定を待っている」だと思う。

自己嫌悪が人格の核にあると、否定されることが信頼に繋がったりする。

俺みたいなド腐れと付き合っていけるのは、底抜けに性格のいい人たちなので、周りには優しい肯定が残る。とても嬉しい。ありがたい。有り難い幸せ。

なんだけど、どこか疑念もある。自己否定より他者愛の方が強いから不信にはならないまでも少し、ほんの少し贅沢なことを言うと、「それじゃないんだ...欲しいのは。」とか思ってしまう。サイテー

 

この優しい世界で、白も黒もグレーも正解の社会で、私こそが大正解でお前は間違ってる!変われ!って声高に説教してくれる人が、傍にほしい......っていうのが身の丈に合わないくらい大きな欲だ。できればそれが年上か同い年の女性だとしっくり来るんだけれど、それはまァ欲深すぎというものだろう。

 

 

かなり長くなってしまったが、最後に一つ。

僕には推しと呼べる人が一人いる。

その人に望むのは、幸せただ一つ。

俺のことを知らなくても、

誰と結婚しても、

いつ表舞台から去っても、

一点の曇りなく幸せを願える人生の最高位みたいな存在。

本気で命も投げ打てる気がする。

 

普通に好きだなって人もいる。

恋愛感情とかないけど、追っていたいとか見ていたいとか、

身近だったら一緒にご飯食べたいとか、駄弁りたいとか、ハグしたいとか。

そういう人たちのお陰で日々を過ごせている。ありがたい。

 

たった一人、推しとは別に特別な存在がいる。

存在として形容が思いつかないから仮に「お嬢」と呼ぶことにしてみる。

お嬢を一言で表すと、「俺(の人生)の否定」。

お嬢には人間じみた隙があって、共感を誘う。

そのくせ、それを見て「大丈夫だよ」って信頼の等価交換を心の内でしようとする下世話な俺を、僕を、私を、否定するみたいに、次の瞬間には世界を取ってる。

主人公ではない、というと失礼なんだけれどそんな感じ。同じ地平の人間が俺にはできないことをやっている。

安い失敗談を引き合いに出して共感しようとする男を断罪するみたいな眼が...そそる。

多分そんなつもり本人は一切なくて、これも恐らくだけどはちゃめちゃに性格がいい。

文章で伝える人間が一番言っちゃだめだけど、文章じゃイマイチ伝えきれない、そういう俺にしか見えない悪魔みたいな存在。

 

これはフェチズムとか性癖の話ではなくて、人生観の話。

これから対応を変えてくれとかそういう訳でもなく、言うなればただの自慢。

 

俺の人生には、

僕の人生には、

私の人生には、

朕の人生には、

ワシの人生には、

自分の人生には、

 

大好きな自己否定がいる。

 

 

それだけで死ぬまでの暇乞いが華やぐんだから、人生なんてそんな高貴なものじゃないって思える。とてもありがたい。