脳が熱を帯びて、のぼせたような浮ついた心地で書いています。
『植樹』第13回です。
13......何を思い浮かべるでしょうか。僕はやはり十三階段ですかね。
絞首台までの13の階段。多分一段、一歩がカウントダウンのように感じて、歩くというものごころより先に覚えた当たり前さえ、ずしっと重く響くように思います。
暗くて陰気な性根のまま、取り繕いと嘘の厚塗りされた自我で、ここまで登ってこれたのは傍にいた人たちの力あってこそだと思っています。今度は嘘じゃないです。
......嘘だったことはないんですけれど。
どんな場所に生まれるか、誰の腹に宿るか、いつ、どうやって、どんな風に生を受けるのか、から今に至るまで、いくつもの幸運に生かされて、活かされて来たのか、数えたって数えたって足りないように思います。
時勢的な、地勢的な、遺伝的な、運。
いいも、悪いも、普通も含めた縁。
好きな人に出会えることから、忘れられない挫折まで、その全てがあって今があって、そのどれか一つでも無ければ今とは全く違う自分なんじゃないかなって思ってます。
綯い交ぜとしての自分が、ただ唯一の僕です。
自己否定のその分、誰かを肯定して、その人の成功で幸せを満たして、
自己嫌悪のその分、誰かを応援して、その人の笑顔で渇きを満たして、
背負わされた人の気も知らず、知らないふりをして、
誰かに齎されて生きてきたけれど、
この運は、この運がくれた新しい居場所は、誰かが欲しかったモノで、誰かが諦めるしかなかったモノで、誰かの未来を終わらせて手に入れた、そういう物。
だから、他人に委ねて足る幸せはもう手放さなければいけないのかもしれない。
自分で自分を幸せにして、自分で自分を救って、......そういう当たり前を当たり前にして生きていく、それが今できる精一杯の恩返し。
恩で繋がった縁を、縁に恵まれた運を、運のお陰で過ごせたこの暗い20年弱を、それでも愛して嫌って肯定して否定して生きるから、生きていくから、もしよかったらもう少しだけ、一方通行の階段を上がり終えるまでのちょっとだけ、観なくていいから、視界にいれといてくれたら、嬉しい。
結局である調になってしまった国語じゃ減点のこの文章が、これからの宣誓であり、これまでの感謝だ。
受け取ってください。これを読んでくれている皆さん、読んでない人たち、絶交したアイツ、もう会わない友人、すれ違った誰か、社会、世界、
ありがとうございます。あなたがいたから今の僕があります。
あなた越しに僕は僕を、ほんの少し、認められました。
ありがとうございました、ありがとうございます。
よろしければこれからもよろしくお願いします。
では、また。
先が決まっていればいるほど、それを守りたくて、傷つけたくなくて、今に集中できなくなってしまうような感覚がある。
今を全力で行きたいから、予定とか未来とか考えたくない。
今を生きる自分から、ほんの少しだけ愛らしく思える自分から、目を逸らしたくない。
幸せはそれを失う恐怖との同居で、幸せな未来はそれが壊れないように生きなきゃいけない隷属の日々を与える、のかもしれない。
すごく怖い。それでいて、............いや、やっぱり怖い。ははは。